映画「キャロル」を見て、思うこと(メモ)

 ここ数か月の間、映画やドキュメンタリーをたくさん見ています。

都会ではないので、見たい!と思った映画が上映終了で見逃してしまうこともしばしば。

最近だと、シン・ゴジラを見逃しそうです。

 さて、「キャロル」を見ました。

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 有名なブロガー?でもある、星井七億さんの記事を読んで以来、ずっと見たいと思っていましたが、レンタルビデオ屋で見つけたので、自宅で鑑賞しました。

 

気になったこと・思ったことを挙げ、整理できればいいかな、なんて気持ちで書いてます。

 

のらしそがきになったこと・考えたこと

➀「キャロル」は、女性同性愛を描いた映画なのか?

②「キャロル」は「まなざし」の映画ではないのか?

LGBT(I)はグラデーション的なアイデンティティだ。

 

➀は言わずもがな。女性同士の性行が描かれています。

しかし、本作を見る限り、同性愛を体験し、異性愛に向かう様子(並びに、異性愛を経験し、同性愛に向かう様子)が描かれています。

 

つまり、単に同性愛・異性愛の話ではなく、性的嗜好と恋愛の話なのかな?って思います。

 

②個人的な感想からなんですが、登場人物のキャロルの視線にくぎ付けになりました。

僕のタイプではありませんが、とっても魅力的なまなざしだったので、ぜひ。

とはいえ、これについては、映画全てに言えることですが、※映画が小説と異なるのは、カメラが人物の視野を写すだけでなく、時に3人称にもなりうる点でしょうか。

 

※これについては、「新世紀エヴァンゲリオン」がずば抜けているので、ぜひ。

NHKのBS放送で、HDリマスターが2016年9月から放送されるようです。

 

LGBT(I)は、グラデーションだ

『キャロル』には、異性愛者も、同性愛者も出てきますが、ここに出てくる人たちは、同性愛だけ(と確実に読み取れるような状態)の人がいません。(いてもよかったと思っています)

タチ専門のゲイっているのでしょうか?みたいな話で、むしろバイセクシャル寄りの異性愛とか、決行あいまいなところがあるんじゃないかなぁ。

 

何が言いたいかというとノーマル(ここまで書いてきて自分でも少し怪しくなってきている)の私としては、

LGBT(I)に寛容になろう

⑵マイノリティに向けるそこはかとない嫌悪感のようなものに寛容になろう

 

ということなのかなぁとおもっています。

 

まとめ

⑴は、すでに頑張っているところなので、省略。

⑵が問題。LGBT(i)が、異性愛者たち(たぶん、圧倒的多数派)に、何を求めているのでしょうか。

私は、「共生」だと考えているからこそ、異質なものに対する恐怖を理解する必要があると思っています。

ただし、これには背面があって、マイノリティ、マジョリティたちに対し、そこはかとない嫌悪感のようなものを持っているだろうという確信めいた直観が伴っています。

 

知らん顔して生きていけたら、たぶん楽なんだけどなぁ。。。

 

以上、「キャロル」をみて思うことでした。